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執筆者の写真Aika

阪神淡路大震災

27年前 1月17日 早朝人生を変えた阪神淡路大震災


あの1月17日早朝、異常な轟音にゆさぶり起こされ、そばで寝息を立てていた娘をとっ さに抱き締めた次の瞬間、大黒柱が折れ、崩れていく建物の中、母は私たちに覆いかぶさり、わが身を盾にして守ってくれました。


その直前まで生活を彩っていた愛すべきものが、なぎ倒され、破壊されてしまいまし た。人間が毎日の営みの中でコツコツと築き上げてきたものを、自然は一瞬で奪うことが できるのです。


大地が引き裂かれる音は、私の脳裏と骨の髄まで深く、深く、刻み込まれました。それ は神の嘆きであり、大自然の怒りであり、傲慢な人間ヘの警告のように思われ、死の刻印 を押されたような恐怖でした。その音は消えることがなく深い心の傷となって、わが子が 死ぬかもしれないという悪夢に苛まれる日々が続きました。


河合隼雄氏は『子どもの心の心理療法は、あくまで子どもの宇宙への畏敬の念を基礎と して行われる。畏敬すべきこれほどの存在に対して、その魂の殺害にどれほど加担してい るか、そのことを知っていただきたいのである。家族内において、なんらかの理由でおざ なりにされた弔いや喪の仕事を、その家の子どもが一身に背負っていて、そのために原因 不明の症状が出ているとしか思えないケースがある。大人が大切な人の死に向き合えない でいるとき、子どもがそれを促すために病気になる、ということがあるのかもしれな い。』と述べています。


娘の病が発覚し「10歳まで生きられない」と短命を宣告され、今にも命の灯が消えそう な幼いわが子を抱え、祈り、歌い続けました。

癒されない魂の傷を負い、狂気の寸前にな りながら、出口の見つからない闇の中で歌う子守唄。 震災から5年の月日が流れ、2000年春のある日の明け方「あいか」というステージ ネームが「愛の言の葉 歌に乗せ 天まで響け」という和歌と共に私のもとに舞い降りま した。


追悼歌 「千羽鶴」




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