サウンドセラピスト・歌手・アイカ 橋本恵子
こころねのみちブログです。
11/21赤塚さんの人生感を変える講演会に 篠原れいこ様のご縁で お歌を歌わせて頂きました。 以下赤塚さんのブログを抜粋させて頂きます。
「知ることの深さは愛することへの道」
ペリリュー島のことなど何も知らずに生きてきた私たち。
でも、今の暮らしは、先人たちが命かけて守り抜いてくれた、
美しい日本があるからです。
白地に赤く日の丸染めて・・・
日本の国旗の歌ですが、
青地に黄色い月の丸をデザインした旗をご存知でしょうか。
西太平洋に浮かぶパラオ共和国の国旗なのです。
パラオが独立する際に、太陽(日の丸)に照らされ輝く
満月のような国となろうという願いを込めて生まれた国旗です。
「月章旗」そう呼ばれています。
大東亜戦争末期、昭和19年9月15日、4年がかりで ペリリュー島に日本軍が作った飛行場を奪うために、 米軍は島を取り囲んだのです。
兵力はおよそ4万2千。
三日で攻略すると豪語して上陸してきた米兵を狙い撃ち、 刀で斬りかかり、10メートルの距離での白兵戦、 両軍の兵士の血で真っ赤に染まった浜辺は オレンジビーチと呼ばれるようになったのです。
三ヵ月近くも持ちこたえたが完全に補給も途絶え、 弾も尽き果てた日本軍は最後
「サクラ サクラ」
と打電し玉砕、司令官中川大佐は11月24日自決、 戦いは幕を下ろしました。
戦いの前に、日本軍は軍艦で島の住民を すべて安全なパラオ本島に避難させました。
中川大佐は、日本の為に戦うという島民たちを説き伏せ、 彼らを守るため避難させたのです。
ペリリューの島の人たちが、日本兵の遺骨を拾い集め、 墓を作り葬ってくれたのです。
中川大佐が自決した洞窟には、今も花が絶えることがありません。
英霊たちは、観光に来たのではありません。
祖国日本のために戦い、大切な人、 大事なことを守るため日本から遥か 3000キロも離れた南の島で死んでいったのです。
どんなにか帰りたかっただろう、「ふるさと」日本に。
英霊たちの願いは、
今日本の人々に届いているでしょうか。
感涙の中、赤塚さんの言葉を抱きしめ
「さくら さくら」
「アヴェマリア」
上皇后陛下「あずかれる宝にも似て」
「四古都」
「春よこい」
最後に「故郷」皆様と大合唱でした。
日本の蘇り
一人一人の魂に 今 火を灯す!
花のほほえみ 根のいのり
📷
📷
📷
Comentarios